ナイナイ岡村の病気の真相は?病名はうつで漢方治療とさんまが原因?

            

岡村隆史お笑い芸人の中でも、運動神経がよく、大変な努力家として知られているお笑いコンビ、ナインティナイン岡村隆史さん。

2010年6月から11月にかけ、体調不良を理由に長期休養をしていましたが、その病気の真相はなんだったのでしょうか?

漢方治療さんまさんとの噂について調べてみました。

 

 

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岡村隆史のプロフィール

岡村隆史さんのプロフィールはこちら。

生年月日 1970年7月3日
出身地 大阪府大阪市東淀川区
血液型 B型
身長 155cm

代表番組
ぐるぐるナインティナイン
めちゃ×2イケてるッ!

岡村隆史さんは銀行員父と母の間に生まれ、
1歳年下の妹も合わせて、4人家族という環境で育ちました。

 

父が銀行員ということもあり、
非常に真面目な家庭だったようです。

それゆえ、現在になっても
相方の矢部浩之さんの家族はよく出演していますが、
岡村隆史さんの家族は頑なにテレビ出演を拒んでいるようです。

岡村隆史さんの生真面目すぎる一面は、
家庭からの影響もあったようです。

 

小学生の時には体操教室に通い、
中学生の時にはマイケル・ジャクソンに衝撃を受け、
ブレイクダンスに目覚めます。

エンジェルダストブレイカーズ
という関西でも屈指のダンスチームに所属し、
中学生ながら毎日深夜まで練習

その練習の甲斐あって、大きなダンス大会で、
関西で2位に輝きます。

その頃は今のような坊主頭のような髪型ではなく、
茶髪で長髪をしており、「キッド」というアダ名で
呼ばれていたそうです。

ストリートでかっこいい感じで、
今の岡村隆史さんとちょっとイメージが違いますね(笑)

 

高校時代にはマラドーナにあこがれて、
サッカー部に入学。

ころころと憧れの人が変わるあたり、
ひょっとすると浮気症なのかもしれません(笑)

しかしこのサッカー部で、
現在の相方の矢部浩之さんと出会うことになります。

高校卒業後は、浪人。

1日10時間以上の勉強をして、
立命館大学に進学するとことに。

しかし、大学1年生の時に矢部浩之さんから誘われて、
吉本のNSC(吉本興業のタレント養成所)に入学
大学を中退してしまします。

安定した職についてほしい」と父に言われて、
国家公務員を目指していた岡村隆史さんでしたが、

今までは敷かれたレールの上をただ歩くだけの人生だった

と、矢部浩之さんから誘いを受けた時に気づいたようです。

もちろん堅物で知られる岡村隆史さんの父は、

「隆史をヤクザの世界へ連れ込みおって、
 矢部を絶対に許さん。」

と烈火のごとく怒り狂っていたとか(笑)

そんな紆余曲折はあったものの、
1990年にナインティナインを結成し、
岡村隆史さんはお笑い芸人としてのキャリアをスタートさせました。

この時期は2年間ほど、茨木市内の深夜のコンビニバイトをして
生活費を稼いでいたそうです。

今や超売れっ子の岡村隆史さんにもこんな時代があったんですね。

 

1991年には「吉本印天然素材」という6組の芸人からなるユニットに所属し、
東京に進出することに。

FUJIWARA雨上がり決死隊など、
今現在も活躍している芸人が多く所属しており、
芸人のアイドルユニット
として吉本が売り出しを掛けた特殊なユニットでした。

実験的なユニットであったものの、この天然素材が東京で大ブレイク
多くの女性ファンが付いて、その一気に知名度が上がりました。

プロの振付師に依頼をして、
かなり本格的なダンスをやっていたようで、
お笑い+ダンス」という一歩先を行くユニットだったことが、
世間に目新しく写ったのかもしれません。

今現在で言うならば、EXILEがライブで突き抜けたダンスパフォーマンスをして、
MCで会場を沸かせるような漫才をするという感じでしょうか?

ちょっとそれは言い過ぎですかね…(笑)

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また1992年のABCお笑い新人グランプリでは最優秀新人賞を受賞し、
そのお笑い芸人としての実力も広く認知されることに。

そして当時の人気番組であった「ねるとん紅鯨団」への出演が決め手となり、
一躍スターの仲間入りを果たすことになります。

1994年には天然素材から脱退し、
ナイナイのオールナイトニッポン」や「ぐるぐるナインティナイン」が
放送を開始することに。

さらに1996年には「めちゃ2イケてるッ!」が放送開始となり、
その人気を確固たるものとしました。

突然の休養の原因は?

岡村隆史

テレビやラジオ等で大活躍していた岡村隆史さんですが、
2010年6月に突如、体調不良を訴えて、
出演予定だった舞台を延期

そのまま他の出演番組なども欠席
入院して本格的な療養生活をすることになります。

 

何でも入院直前まで舞台の台本作りを寝ずにやっていたところ、
まず食事をすることが困難になったようです。

それでも根を詰めてやっていたところ、
今度は一睡も出来なくなり、重度の不眠症に

 

そのため日常でも常にパニック状態のようになり、
ラジオのハガキもまともに選ぶことが出来ず
ひどい時はサインも書けなくなる程に錯乱

もちろん様子がおかしいことに気づいた周りからは、

仕事を休んだほうがいいんじゃないか?

と言われましたが、

休まない。休む必要ない。

と頑なに拒否。

さすがに心配なった相方の矢部浩之さんが、
休んでくれと懇願した所、

「それだけは勘弁してくれ、相方」

と、逆に泣きつかれたそうです。

引き受けた仕事であれば何でも真面目にこなす性格が
仇となってしまい、パンクをしてしまったと思われます。

 

この時に起きた、食事が喉を通らないことや、
重度の不眠症も精神的な部分から起因すると思われ、
病名としては一種のうつ病であるということが出来そうです。

さんまのプレッシャーと漢方治療

岡村隆史1

岡村隆史さんが体調を悪くしたというニュースは
一気に業界内にも駆け巡り、多くの知人が励ましの
メッセージを送りました。

その中でもさんまさんは岡村隆史さんに電話をして、

明石家さんま

大丈夫か?とにかく、笑って過ごせ!

と激励したそうですが、岡村隆史さんは

笑えません

と答え、さんまさんをかなり驚かせました。

 

何でも入院するにあたって、主治医から、

テレビは特にバラエティ、ワイドショー、歌番組がダメ。

と言われており、テンションが上がるような番組は厳禁だったとか。

その注意もあって、入院している期間は
NHK以外のテレビ番組はほとんど見なかったと、退院後に語っています。

元気な時にはありがたいさんまさんのハイテンションも、
この時ばかりは苦痛になってしまっていたようです。

それだけ追い詰められていたのでしょう。

 

そして岡村隆史さんは約5ヶ月の療養期間を経て復活。
今でも元気に活躍をされています。

入院している期間から漢方での治療をしていたことを明かし、
今でも漢方を常用。

そのおかげで体調が良いとラジオで語っていました。

その漢方が、

ツムラ103番「サンソンニントウ」

という漢方であり、下記に詳しい情報が記載されています。
→ツムラ103番「サンソンニントウ」

適応症の欄には「心身が疲れ弱って眠れないもの」と書かれており、
やはり重度の不眠に悩まされていたことが分かります。

 

生真面目に努力することも大切ですし、
その努力があったからこそ今の地位が築けたと思うのですが、
岡村隆史さんの場合は、「力を抜く」ということも
少しは意識されたほうがいいかもしれません。

うつ病は完治することが難しい病気のため、
継続的に注意をすることが必要となります。

今後も長く活躍してもらうために、
もっと気楽な形で仕事が出来てくるといいのですが、
競争の激しい芸能界にいるうちは、
ちょっと難しいかもしれませんね…。

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