震災被害の大きかった、宮城県の気仙沼市。
そこで、ありとあらゆる建築賞を獲得している、
小さな会社があるのをご存知でしょうか?
その会社は高橋和志氏が率いる、
高橋工業という造船会社です!
一体、なぜ造船会社が建築という分野で、
多くの賞を獲得できるのでしょうか?
きっかけは倒産
高橋和志さんは1957年に宮城で生まれ、
28才頃に家業であった造船所が倒産します。
残されたのは、あばら屋だけという
過酷な状況の中で生計を立てるために、
弟と一緒に鉄工所を起業し各地の造船所を
回りながら設計と溶接の技術を磨いていきました。
しかしながら、遠洋漁業の衰退とともに、
造船の仕事は全体的に減っていきました。
そんな中で、リアスアーク美術館の金属の曲面加工を
「造船技術を使って行えないか?」という相談を受けたことが
最初のきっかけとなり、建築の世界への進出のきっかけとなりました。
造船と建築のギャップ
そこで当然気になるのが、
「造船を事業としていた人間が建築を出来るのか?」
という疑問です。
しかしながら、多少の技術的な差異はあるものの、
造船も建築も根底は同じとは高橋さんの談。
さらに船大工というのは図面設計から現場指揮まで
するのが当たり前で、電気・空調・水の設計も予め考慮して、
行うため一人の業務範囲が広く困ることは非常に少なかったそうです。
確かに、建物では雨漏りが起きても大したことにはならないですけど、
船であれば致命傷ですもんね(笑)
一人ひとりの技術で比べた際には、船大工の方がカバーできる範囲が
広いかもしれません。
画期的な発想の秘密
造船技術を建築に応用することで、
次々と新たな発想を生み出す高橋さん。
その秘密はそれだけにとどまらず、
1年の過ごし方にもあるようです。
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高橋工業では1年に受ける仕事量は決めており、
工場の稼働は10ヶ月にとどめて、残りの2ヶ月は
稼ぐための腕磨きに当てるとのことでした。
この2ヶ月が、豊かな発想を生み出し、
それを実現するために、必要な技術の開発を支える、
大事な期間なのですね。
そのような背景を知ると、数々の賞を受賞できる理由にも
納得ができます。
高橋和志の名言
そんな高橋和志さんですが、
数多くの名言を残されています。
ここではその一部をご紹介します。
祖父も父も、船大工の棟梁でした。
うちは江戸時代から続く船大工の家だった。その二人の背中と、
家に住みこんでいた100人以上の職人の背中を見て育ったんです。
だからいまでも、何かあると祖父や父ならどうしていたかなと思うし、
そこに答えがあるような気がする。
値引きには基本的には応じません。
どうしても予算の都合でと言われたら、素材を変えたり値引きの根拠を示す。
同じ素材、同じ工程で値引きと言うんじゃ、
何をされているのかと言うと「買い叩かれている」ってだけなんだ。
よく、不況で支払いの滞納があると、みんな、「金に裏切られた」なんて言うんだ。
でも、倒産の頃からいろいろ見て来て思うのは、裏切るのは金じゃない、人なんだ。
いかがでしょうか?
巷でよく聞かれるような言葉とは違い、
自らの経験に基づいた個性あふれる言葉のように感じます。
これからどんなユニークな建築が見られるのか、
非常に楽しみです!