AKB48を卒業して、現在はソロで活躍している前田敦子さん。
実はかなり重度の過呼吸で頑張っていたことをご存知でしょうか?
初のドームコンサートの裏側では、過呼吸や熱中症などメンバーの壮絶な戦いがありました。
過呼吸との戦い
AKB48の絶対的なエースとして活躍をしていた前田敦子さん。
AKB48といえば、握手会の券をつけたCD販売の「AKB商法」や
所属メンバーの人気投票をする「選抜総選挙」が有名ですが、
メンバー自体の活躍の裏側というのはあまりフォーカスされてきませんでした。
しかし、その裏側に迫る映画が公開されていたのをご存知でしょうか?
その映画がこちら。
『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on
少女たちは傷つきながら、夢を見る』
監督 高橋栄樹
この映画は、2011年7月22日~24日にかけて西武ドームで行われた、
AKB48の初のドームコンサートの模様を中心に構成されています。
初のドームコンサートということもあり、
初日は進行等もうまく行かずトラブルが多く発生。
そのため初日終了後に秋元康さんから、
「今まで最悪のコンサート」と言われてしまいます。
そこで高橋みなみさんが中心となって、
ライブ終了後にドームの外で深夜まで練習を決行。
しかし季節が夏ということもあり、
二日目、三日目となるにつれ、熱中症で倒れるメンバーが続出。
前田敦子さんも三日目の朝一番で過呼吸に陥ってしまい、
ライブに出演出来るかどうか分からなくなってしまいます。
そのため他のメンバーが急遽、前田敦子さんの振り付けを覚えるなど、
ギリギリの状況でした。
しかし直前になって前田敦子さんが復活。なんとか事なきを得ます。
ですが、過呼吸の症状はステージ上でも現れてしまい、
MCの場面で喋れなくなってしまいます。
そこでは高橋みなみさんがMCをつなぎ、他のメンバーもフォローする中で、
前田敦子さんが呼吸を一生懸命整えます。
さすがにこの状態では歌うのムリだろうと誰もが思う中で、
次曲のフライングゲットになると笑顔に戻り、パフォーマンスを再開。
身体的には限界を迎えている中で、辛さを隠す演技は見事の一言です。
ステージに立つ人間としてのプロ根性を見せつけます。
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ちなみにフォローをした高橋みなみさんや大島優子さんも、
過呼吸になっており、全体として本当にギリギリの状況だったようです。
こうして文章にしてみると、淡々としていますが、
実際に20歳前後の彼女たちが過呼吸や熱中症の中で、
必死に頑張る様子は心に訴えかけてくるものがあります。
批判の対象になることも多いAKB48ですが、
問題の根幹はその「握手会」や」「AKB商法」と言われるものであり、
彼女たち自身は重度のプレッシャーの中で、
限界を迎えるほどの頑張りをしているようです。
実際にこのドキュメンタリーDVDのレビューは高く、
AKB48のファンではない一般層からも「印象が変わった」という声が
多く聞かれました。
卒業の理由は?
前田敦子さんの卒業の理由については、色々な憶測があります。
この卒業に影響しているのは板野友美さんと同じく、
アイドルの宿命的な部分があると思います。
実はSMAPや嵐など、長期的にメンバーの入れ替えをせずに
残っているのは男性ユニットが圧倒的に多いです。
しかし女性アイドルはその「初々しさ」や「若さ」が重要視されます。
古くはおニャン子クラブやモーニング娘にも見られたように、
女性アイドルグループが生き残るためには、メンバーの入れ替えは必須なのです。
ですが最近では男性ユニットの代表格でもあるEXILEも
メンバーの新規加入や関連ユニットの立ち上げなどを行っており、
メンバーの入れ替えはこういったユニットの「常識」となりつつあります。
そういった外部的な圧力に加え、
重度の過呼吸の症状に悩まされる日々。
本人としても、限界が来ていたのかもしれません。
さらに別のインタビューで、
「憧れの映画監督と仕事が出来る環境が羨ましく思えた」
と答えてもいます。
その監督とは前田敦子さんも出演した映画「苦役列車」の山下敦弘監督。
前田敦子さんはAKB48時代から女優業もこなしており、
徐々にその魅力に取りつかれていったのかもしれません。
そして女優業への興味の高まりと
アイドルからの卒業の決意のタイミングが一致したのが、
2012年8月27日だったのかもしれません。
卒業後はソロ歌手としての実績や女優としても様々な活動をこなし、
2014年7月には舞台への初出演が決定している前田敦子さん。
今後の女優としての活躍が期待されますね!